1.

【出典】濱口恵俊編著『日本文化は異質か』(日本放送出版教会、一九九六年)所載論文「日本研究における「関係体」パラダイムの可能性」より一部改変。濱口惠俊は、一九三一年大阪生まれ、京都大学教育学部卒業。国際日本文化研究センター教授。専攻は比較社会学、比較文明学。主な編著書に『「日本らしさ」の再発見』、『高度情報化社会と日本のゆくえ』『日本型モデルとは何か』等、多数。

問1 ア 下につくこと、支配下にあることの意味。「隷」は奴隷(どれい)という熟語でも用いられている。

イ こころや胸のうち、という意味。同音異義語「年頭」等と間違えないように。 

ウ よりどころとする、という意味の「依拠」を書く。 

エ 「妥当」=よくあてはまること。適切であること。 

オ 頻出漢字。「つかむ」という漢字と「にぎる」という漢字を重ねる。

問2 1 欧米人と比べて集団主義者であることを強調しているので「典型的」があてはまる。 

2 「日本がアジアで最も早く近代化に成功し、経済・技術的な面で高度成長を遂げ、豊かな現代文明を築いた」歴史的経緯が従来の集団主義説では説明できない、という文脈を読み取る。 

3 産業化にとっては個人主義よりも集団主義の方がよく合う、という意味の言葉を選ぶ。 

4 「日本異質論」が抱えている問題が根深いものであることを示す文言を選ぶ。 

5 必然的に「日本異質論」が成立するに至った、という文脈であるので、「論理的」が最適。

問3 出題文全体をしっかりと読まなければ正答に気づかない問題であるが、大意を把握した上で細かく読み進めていた人は必ずおかしい、とひっかかる場所でもある。文中、筆者は日本を分析する枠組みとしては、従来の「日本集団主義説」も「日本異質論」も現実にはそぐわないものであることを説明し、文末においてそれらに代わる新たなパラダイムの確立を提唱している。したがって、「日本集団主義説」を批判する文脈でありながら、それが「十分な説得力を持つ」とある第六段落の文末表現が誤ったものであることに気づくだろう。

問4 文章や段落の整序問題もよく出題される問題である。まず、この五つの文は「日本異質論」を批判している文脈であることに気づく。「日本異質論」を批判するという立場は言い換えれば、「日本だけが異質とは言えない」という論の展開になるわけであり、そのことを端的に述べたのはEである。したがって、T番目にはEを入れる。また、V番目にはAが入るわけであるから、Aと重なる表現「普遍」が使われていることに注目し、DがEとAの間に入ることがわかる。すなわち、Dで述べた同質・普遍の欧米社会の特質をAでは唯一普遍ではないと批判するようにつながるわけである。Wには、これらの特質を「単系進化」と表現し賛成できない旨を表明している文Cを選ぶ。残されたVにはBが入るが、Bでは、日本は欧米に遅れた国ではない、という意味のことを書いている文であるので、直後の「にもかかわらず」と逆説で「比較の基準点を常に欧米側に設定したことに問題がある」と表明した文とつながることがわかる。

問5 直後に言いかえの表現として「個々の主体性」という言葉があるので、類似した三文字の言葉を探せばよい。とりわけ、文脈より○○性という言葉が当てはまるのではないか、という目星がつきやすいので、それを手がかりに全体を概観すると、第二段落に「自律性」という表現があることに気づく。さらに、この二個所では「欠如」「欠く」という重なった表現が「自律性」と共に用いられていることもヒントとなる。

問6 第二段落の内容をよく読めば矛盾した選択肢にすぐ気づくだろう。民族主義的な結束力については、本文中では触れられていない。

問7 第四段落の内容をよく理解して整理すれば、正解を導き出すことが可能であろう。筆者の説にしたがえば、従来の社会科学は、個人主義により社会の近代化や高度技術文明が発達したと説明してきたわけであるが、その考えに基づくと、集団主義の日本がアジアで最も早く近代化に成功して、また経済・技術的な面で高度成長を遂げ、豊かな現代文明を築いたことが、うまく説明できない。なぜなら、こうした急成長を果たすことは、本来なら個人主義的な国家でなければならない、としたのが従来の社会科学の仮説であって、集団主義の日本が高度に成長することに成功したという歴史的な現実とその仮説とは矛盾するからである。この内容を問いの指示にしたがって、字数制限内にまとめるとよい。

問8 日本人には欧米人にあるものが欠けている、という意味のことを「欠如態」と筆者は説明している。したがって、裏を返せば、欧米人にあって日本人に欠けているものを説明すればよい。欧米イコール「個人主義」という言葉はぜったいに外せないので、あとはこの文中における「個人主義」の特徴であるところの、「個々の主体性」や「個人の自律性」などを用いて説明を加えておけばよい。

 

2.

【出典】森茉莉の短編「注射」(講談社文芸文庫『父の帽子』、一九九一年刊に所収)より一部改変。森茉莉は、一九〇三年、森鷗外の長女として東京に生まれる。作家、エッセイスト。主著に『父の帽子』『恋人たちの森』『贅沢貧乏』『甘い蜜の部屋』など。実妹・小堀杏奴も作家・エッセイストとして著名。

 

問1 ア 基本漢字の読みである。身体の部位を表現する漢字には習熟しておこう。 

イ 普段見慣れている漢字であるが、案外正しく書くことができない類の漢字であるので注意。 

ウ 基本的な漢字の読みであるので、間違えた人は注意してほしい。 

エ 文学的文章では、このように普段は音読みで登場する漢字の訓読みを指摘する問題が少なくないので、注意したい。 

オ 同音異義語に注意。ここでは、病状が回復したことを示す熟語を選ぶ。

問2 a 空欄の前後での母親の苦悩のありかに注意。逆接の接続詞を充当するのが相当。 

b 母親の進言に対して、父親が苦悩している様子が描かれている部分である。父親の苦悩している時間幅を考えよう。

問3 医者のどんな様子や示唆に惹きつけられているか、を考えると、「注射を一本すれば」という安楽死の「暗示」に思い当たるだろう。「言葉」も悩むところであるが、母親が惹きつけられるものが表面的な言葉ではなくて、言葉の意味しているところのものであることを考えると「暗示」以外の解答は妥当とはいえない。

問4 「死を予言されている」ということは、すなわち両親共に娘が早晩死ぬことを覚悟しているという意味である。すると、直前の部分で、娘と同時に百日咳に罹患して、既に亡くなった弟の遺骸がまだ次の間で寝かされたままであり、娘の死後、一緒に葬ろうと予定している両親の態度が書かれている。その一文を選べばよい。

問5 娘の苦しみをみかねた母親が、医者の進言にしたがって、娘を安楽死させることを決意する場面であるが、「安楽死」という表現自体は文中に出てこないので、その象徴である「注射を打つ」という言葉を用いて、字数制限以内でまとめればよい。

問6 これは、医師が安楽死を断念する場面の表現である。元来、医師は人間の命を救うものであり、患者を死なせることが仕事ではない。しかし、もはや手の施しようのない重体の患者を前にして、苦悩する家族の姿を見かねた医師は安楽死を暗に勧めたわけである。ところが、そこに、普段は同じ家に暮らしているわけではない患者の祖父が現れ、その措置に反対された以上は、本来的な医道の倫理に反する行為を続けるわけにはいかなくなった、という思いがここに描かれている。

問7 医師でもあった森鷗外の作品はよく文学史の問題として登場するので、基本的な著作の名前をおさえておこう。なお、アは夏目漱石、イは谷崎潤一郎、ウは三島由紀夫、オは柳田国男、カは太宰治の作品である。

 

3.

【出典】鎌倉時代末期の兼好法師の随筆『徒然草』の第四九段全文。現世的・俗的欲望を批判し、求道者としてのあり方を過去の達人に求めた『徒然草』の中でも、特に兼好が仏道修行の重要性を説いた一節である。この世が無常であることを直視し、そのための修道には少しの遅滞や懈怠があってはならないことを心戒上人らの姿勢を例にとって読者に示した個所である。

問1 若くして死んだ人間だ、という意味の言葉を入れる。少年といっても、現代的な意味での少年ではなく、年が少ない、という意味の言葉である。

問2 直前が「など」という疑問を示す言葉であること、さらに文末が「まめやかならざらむ」と連体形で終わっていることで、係り結びが成立することに気づく。そこで、疑問の係助詞「か」を入れる。

問3 aは直前に「遂げ」と下二段動詞の連用形があるので、連用形接続をする過去の助動詞「けり」とわかる。また、bは「けり」という一語ではなくて、四段動詞「書く」の活用語尾「け」が入っていることに気づけば、あとの残りの「り」四段動詞の命令形に接続する助動詞「り」の完了の用法であることに思い至る。

問4 本文の中心的なテーマを問う設問である。本文五行目に「仏道」という言葉が出てきているので、あとは、その仏道を勤め上げる過程をどのように表現したらよいかを考え、「修行」という言葉を導き出せれば正解である。

問5 傍線部の直前の部分を現代語訳して考える。その際には、「速か」「緩く」「急ぎて」などが何を形容する言葉なのか、そして過ぎる、ということが具体的に何を指しているのか、を指摘する必要がある。その前の文で、死ぬときになってはじめて、過ぎてしまった人生の誤りを後悔する、という意味のことが書かれているので、そこから、「急いでしておくべきこと」「それほど急がなくてもいいこと」といった言葉を考えるとよい。普通の人たちはこの二つの優先順位を逆につけていることを作者は批判しているのである。

問6 会話の始まりは「いはく」の直後であることはすぐにわかるだろう。あとは、会話の終わりを示す「とて」を目印に終わりを探す。「禅林の十因に書けり」と文末にあるので「遂げけり」は会話ではなく、十因に書かれた内容の最後を示す言葉であることに注意。

問7 「この世」は、今現在、聖が生きている時代を指し、「かりそめ」は「はかないこと」を示す。この二つの要素を要れて、文脈に合わせて現代語訳すればよい。

問8 日本古典三大随筆とは出題文の『徒然草』、平安時代の『枕草子』(清少納言)、鎌倉時代の『方丈記』(鴨長明)の三つを指す。ここでは、鎌倉時代、という限定が付いているので、『方丈記』が正解になる。

【通釈】
年老いたときになって、はじめて仏道修行をしようなどと、その時を待っていてはいけない。古い墓の主の多くは、若くして死んだ者である。予期していなかった病気に罹り、すぐにこの世を去ろうとする時になってはじめて、時間が過ぎてしまったことの誤りを知る。誤りというのは他でもない、その場ですぐにすべきことを後にのばし、後にすればよいことを今に急いで、そのようにして生き過ごしてしまったことへの後悔である。その時になって悔いたとしても、しかたがない。人は常に死を抱えている身であることを心にひしと思い、一瞬たりとも忘れてはならない。そうすれば、現実の煩悩も少なくなり、仏道を勤めようとする心も自ずと真剣になってくるだろう。

その昔いたという聖(ひじり)は、人が訪ねて来て自他の様々な要件を言うときにも「今、急ぎの用事があって、既に朝夕に迫っている」と答え、耳をふさいでまで念仏をし、ついに往生を遂げたと、禅林寺の永観が著した往生十因にある。心戒といった聖は、現世のはかないことを考えて、静かに腰をおちつけることさえもなく、常にしゃがみこんでいただけだという。

 

問1 短歌の鑑賞文を指摘させる形式の設問も比較的オーソドックスな出題である。それぞれの短歌に折り込まれた作者の思いを的確に把握することに加えて、鑑賞文そのものが何を中心に指摘しているのかを同時に考え、その共通項があるもの(多いもの)を正解として選ぼう。

A いつのまにか冬が近づいていることを示した短歌であるが、「寒さ」という肌に触れた感覚と、目でとらえた露と落ち葉の様子とに注意して、オの「季節の移ろいを五感で感じ」が妥当。 

B 「ほろびしもの」に対する「なつかしさ」の感情の裏にある作者の意識を探ると、うつろいゆく季節や生命に対する鋭敏な意識の所在がわかる。秋ぐさの花が「かたる」という個所もヒントとなる。 

C 黄色の桑畑の向こうに青い富士山が遠くに浮かぶ光景の中、作者はどんな気分で口笛を吹いているのか、ということを考えてみよう。

問2 四字熟語の設問も数多く出題されている。常日頃から、国語便覧などを手許におきながら、四字熟語が登場するごとに確実に覚えていきたい。また、漢字は表意文字であるから、それぞれの漢字の意味をよく考えて、ただの丸暗記ではなく、意味を的確にとらえて覚えることも大切である。

A 佳人(かじん)薄命(はくめい) 美人には不幸な者や短命な者が多いということ。美人薄命、とも書く。 

B 合従(がっしょう)連衡(れんこう) 中国の故事、蘇秦の合従策と張儀の連衡策から転じて、外交上の駆け引き、また連合したり同盟したりして勢力を伸ばすことを指す。新聞の政治・経済欄で頻出する言葉。 

C 有象(うぞう)無象(むぞう) 元は仏教用語で、宇宙にある有形・無形の一切の物、森羅万象を指す。転じて、世にいくらでもある種々雑多なつまらない人々を指すようになった。 

D 孟母(もうぼ)三遷(さんせん) 孟子の母が、最初は墓所の近くにあった住居を、次に市場の近くに、さらに学校の近くにと三度遷)しかえて、孟子の教育のためによい環境を得ようとはかった故事を指す。孟子の母は、いわゆる「教育ママ」の元祖として有名。 

E 人面(じんめん)獣心(じゅうしん) 文字通り、顔は人間だが心は獣に等しい、という意味で、冷酷な者、恩義を知らない者をののしっていう語。

問3 A エのような意味と誤って覚えている人が多いことわざだが、相手に対して遠慮がいらないほどに、うちとけた関係を示すときに使う表現である。 

B 三国志に登場する言葉で、魚と水とのような関係。親密で離れがたい友情や交際のたとえ。 

C ことわざとしては、「―の身となる」という形で、無罪であることが明らかになることを示します。

問4   A 一九○五〜○六年にかけて雑誌「ホトトギス」に発表された夏目漱石の小説である。 

B 一九二九年〜三五年にかけて発表された島崎藤村の長編小説である。 

C 一九二九年に発表された初期プロレタリア文学の代表的作品である。作者の小林多喜二はその後、官憲の拷問により虐殺される。 

D 一八九五〜九六年にかけて発表された樋口一葉の短編小説である。雅文調の表現が特徴。