秋田桂城短期大学 平成11年度推薦入学試験問題*看護学科
(60分、600字)

下記の文を読んで、「おせっかいな励まし」とはどういうことを言うのか、
また、そういうことがつい行われてしまう理由と、それが病人にとって何故
いけないのか、あなたの考えを述べなさい。

 「おせっかいな励まし」とは、まことに奇妙な標題であると思われるであろう。
しかし私は硬く信じているが、友人たちの悪いくせである元気づけの言葉かけほど
病人を痛めつけるものは他に類がない。それは一種の儀礼的な習慣であろうが、私
は、自分自身も含めておおぜいの病人たちを観つづけてきた長い経験から、声を大
にして叫びたい。こんな習慣には絶対反対すると。親族や友人、見舞客や付添い人
など、病人をとりまくすべての人びとに向かって私は心から訴えたい。病人が直面
している危険を、わざと軽く言い立てたり、回復の可能性を大げさに表現したりし
て、病人に「元気」をつけようとする、そのような軽薄な行為は厳に慎んでいただ
きたいと。
  フローレンス・ナイチンゲール:看護覚え書、おせっかいな励ましと忠告、から抜粋。
  

■解説

 出題文が短く、また内容自体もナイチンゲールが「おせっかいな励まし」を禁止している
ことを示すだけのシンプルなもので、解答する立場としては、ナイチンゲールが指摘しよう
とした「おせっかいな励まし」の問題点を的確に読みとり、わかりやすい具体例を加えた上
で、まとまった記述をすることが要求される課題である。
そこで、冒頭の問題文に注目してほしい。そこには、解答する際の条件が三点示されている。
第一の条件は、「『おせっかいな励まし』の定義」である。ナイチンゲールがいうところの
「おせっかいな励まし」とはどういう意味であるのかを出題文から探し、その部分を簡潔に
まとめることが必要だ。
第二の条件は、「『おせっかいな励まし』が行われてしまう理由」である。「おせっかいな
励まし」はいつ、誰によって、どのような状況で、なぜ行われているのか、出題文の内容か
ら連想される具体例などを考えながら、わかりやすく説明することが大事である。
そして第三の条件は、「『おせっかいな励まし』が病人にとってなぜいけないか」ということ
である。これについては、第一・第二の条件を加味した上で、あなたの考えを明確に示さなけ
ればならない。すなわち、この最後の条件に対する解釈が、小論文の成否を決定づけることに
なる。『おせっかいな励まし』が病人に与える影響としてどんなことが考えられるか、その病
人の心理を分析することが必要だ。さらに、『おせっかいな励まし』がだめであるのならば、
周囲の人間はどのようにすればよいのか、という点も考えてみたい。
以上、答案を作成する場合にはこの三点について言及することが必須の条件である。裏を返せば、
この三点を適切に指摘した上でその記述を正確に行えば、十分に合格点を得ることができるだろう。
まずは課題が要求していることは何かを的確に読み取った上で、出題文を読むようにしたい。
本問はそれを実践する際の好例であるので掲載した。

■解答例

 病人に対して「がんばって」「きっと全快するよ」と声をかけて励ますことは、よく行われること
である。だが、ナイチンゲールは、そうした元気づけの言葉を「おせっかいな励まし」と呼び、その
行為を厳しく批判している。
 こうした元気づけの言葉は、社交儀礼的なあいさつとして使われることが多い。病人の早期回復を
願う気持ちは抱いているにしても、多くの場合、病気の軽重に関わらず多用されている言葉である。
したがって、早期回復が見込まれる軽症な患者に対しても、助かる見込みがない末期患者に対しても、
同様に「必ずよくなりますよ」と声をかけることが、一般的にはその病人をいたわり、思いやる行為と
して受け止められている。
 しかし、あらためて他人から激励を受けるまでもなく、病人は常に真剣に闘病しているのだ。病人
によっては、「がんばる」ことを殊更に強調されることで、むしろ、自分の置かれた状況が、自己の
判断よりはるかに悪いような気分に陥ることもある。あるいは、専門家でもない他人から、自分の病気
について根拠のない判断を下されることにいら立ちさえ感じる人もいるだろう。病気の状況や今後の
展開を一番知っているのは、病人自身だからである。
 病人を真にいたわることとは、表面的な励ましの言葉をかけるのではなく、病人の置かれた立場を理解
して、その病人が求めているものは何かを一緒に模索することだと私は考える。
(585字)